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Monday, October 26, 2026

対中外交に尽力 幻の「大連立」構想―福田元首相

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 福田康夫元首相は「外交通」を自負し、中国、韓国との関係強化に力を注いで首脳往来の枠組みを築いた。一方、内政では衆参両院で与野党勢力が逆転する「ねじれ国会」に苦しみ、旧民主党との「大連立」構想も幻に終わり、政権運営は立ち往生。在任365日で退陣を余儀なくされた。

小泉元首相「福田氏いてこそ」 大連立交渉の小沢氏「今も感銘」

 福田氏が頭角を現したのは、小泉内閣での官房長官時代だ。霞が関ににらみを利かせて円滑な行政遂行に努め、小泉純一郎首相(当時、以下同)の派手な「劇場型政治」を縁の下から支えた。2001年から翌年にかけ、田中真紀子外相と外務官僚が衝突した際も、外務省が機能不全に陥ることを回避し、「影の外相」の異名を取った。

 中国に幅広い人脈を築き、首相就任後は中国、韓国との協調路線を前面に出した。3カ国首脳会談を国際会議と切り離して開催することを決定、首脳の相互訪問に道筋を付けた。08年5月には中国国家主席としては約10年ぶりとなる胡錦濤氏の来日も実現させた。政界引退後も、日中友好の重要性を説いた。

 ただ、政権を担う環境には恵まれなかった。07年9月発足の福田内閣は、参院選で惨敗して退陣した第1次安倍政権を受け、参院で与党過半数割れの状態からスタート。「場合によっては貧乏くじかもしれない」。福田氏は首相就任に当たってこう漏らし、自らの内閣を「背水の陣内閣」と名付けた。

 福田氏は「ねじれ」打開に向け、大きな賭けに出た。07年11月、参院で第1党だった民主党の小沢一郎代表と「大連立」合意寸前までこぎ着けた。しかし、同党内の反対で構想は頓挫。小沢氏が対決姿勢に転じたことで、政府提出の日銀総裁人事案が2度にわたって不同意となったほか、ガソリン税の暫定税率は失効に追い込まれた。08年6月には憲政史上初の首相問責決議が参院で可決された。

 退陣を表明した記者会見で、記者に対して「あなたとは違う」と色をなした福田氏には、冷淡なイメージが付きまとう。だが、在任中に起きた海上自衛隊イージス艦と漁船の衝突事故に際しては、行方不明となった漁船船長の自宅に赴いて涙ぐみながら謝罪し、人情家の一面も見せた。

 引退後も毎年の忘年会には、ゆかりの首相官邸スタッフや官僚ら100人近い「福田ファン」が集まり、福田氏もワインを片手に笑顔を振りまいていた。

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